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“昭和レトロ”な団地はかつて時代の最先端だった!?|一級建築士による建設アラカルト

【Written by 独学一級建築士 nandskさん】

「団地」と聞くとどんなイメージを思い浮かべますか?昭和の象徴ともいえる団地ですが、実はいま、“昭和レトロブーム”の一環で若い世代を中心に人気が高まっているのだそうです。

また、老朽化した団地のリノベーションや再生事業にも注目が集まり、最近だと“東洋一のマンモス団地”と呼ばれた「高島平団地」(東京都板橋区)の再生計画がニュースなどでも話題となっていますね。

ドラマや映画の舞台にもなるなど、昨今何かと話題の「団地」。今回はそんな団地について少しお話ししたいと思います。

団地とは?

まずは団地の定義について考えてみましょう。「団地」を辞書的に説明すると「同じ性質を持つ複数の建物が立地する、集団的に開発された一団の土地」といった感じでしょうか。

例えば、工場が複数集まった土地は「工業団地」というように、いろいろな用途の団地があります。ただ、多くの人が想像するのは複数の共同住宅が建っている「住宅団地」ではないでしょうか。“1号棟”などの番号が振られ、団地内に公園などがあるケースが多いですね。

ここでは『団地=住宅団地』として話をしていきます。

一団地認定とは?

ちなみに、先ほどの説明であった「一団の土地」については、建築基準法第86条で「一団地」というキーワードが書かれています。

これは、複数の建物がある敷地を1つの敷地と見なして法規制をかける制度。例えば別の敷地扱いだと斜線制限や日影規制がかかってしまうような場合でも、1つの敷地と見なすことでそれらをクリアすることができます。

一団地として見なすには特定行政庁の認定が必要になるため、「一団地認定」と呼ばれることが多い制度で、住宅団地などの団地についても多くがこの一団地認定を取得しています。

団地、共同住宅、長屋、マンション…

団地と似た言葉に共同住宅やマンションといった言葉がありますが、これらの違いはなんでしょうか。

まずは共同住宅と長屋。どちらも集合住宅の一種ですが、建築基準法に書かれている用途の1つであり、廊下や階段などの共用部分がある集合住宅は「共同住宅」、共用部分がない集合住宅(玄関がすべて1階で、共用廊下や共用EVがないものなど)は「長屋」と定義されています。

マンションとアパートについては法律上の定義はありませんが、不動産情報サイト事業者連絡協議会によれば、

  • 「アパート」…木造と軽量鉄骨でつくられたもの
  • 「マンション」…鉄筋コンクリート造や鉄骨造のもの

としているそうです。

そして、「団地」というのはこれらの集合住宅が複数棟集まっているもので、敷地内に公園や商業施設などがあることも多いです。1号棟、2号棟…というように、共同住宅が複数集まった団地がイメージしやすいですが、実は戸建て住宅が集まった住宅団地もあり、様々なパターンが存在しています。

似た言葉でニュータウンというものもありますが、団地との明確な違いはなく、個人的には学校や商業施設なども含めてより大規模に開発したエリアが「ニュータウン」という感じです。

住宅団地の歴史

ここからは団地の歴史を見ていきましょう。

団地がつくられるようになったのは戦後の住宅難解消のためで、世界で最初につくられたのはイギリスといわれています。当時、イギリスは第一次世界大戦の長期化により住宅問題が発生し、それを解決するために国が公営住宅を大量につくったのが始まりとされています。

日本でも、太平洋戦争終結後の1950年代から住宅不足を解消するために整備が始まりました。

日本での団地第1号は1956年の「金岡団地」(大阪府)で、全30棟・900戸という大規模なものでした。間取りはすべて2DKで、ダイニングキッチンという間取りもこの金岡団地が初といわれています。現在、金岡団地は建て替えられていますが、団地第1号の記念として当時の住戸を再現した広場があるので、見てみるのもおもしろそうですね。

その後、1962年には東京23区初の「赤羽台団地」(東京都北区)が陸軍被服本廠跡地に3373戸もの超大規模団地としてつくられました。また同年には、5926戸で“東洋一のマンモス団地”といわれた「草加松原団地」(埼玉県草加市)ができるなど、1970年代までにかなりの数の団地がつくられます。

星形の平面形状で全住戸の採光が良いスターハウスが特徴的な「ひばりが丘団地」(東京都西東京市・東久留米市)、10階建て以上の高層棟が建ち並びこちらも“東洋一”といわれた「高島平団地」など、特徴的な団地も増えていきました。個別の団地についてはいつか別の記事で取り上げたいと思っています。

団地は時代の最先端

当時の団地は初めてダイニングキッチンが採用されるなど、まさに時代の最先端。『夢の公団住宅』といわれ、入居倍率は100倍を超えることもあるほどの人気でした。

なぜこれほど人気だったかというと、それまでの日本の共同住宅は木造アパートが主流で、お風呂や水洗トイレ、ベランダなどがないものも多かったため、お風呂や水洗トイレが標準で付いている団地は憧れの住居でした。

そもそも戦後の日本は住宅不足で、一世帯一住居がなく、1955年当時は約270万戸もの住宅が不足していたといわれています。最新の団地に住むことはそれだけでステータスでした。

また、戦後復興の最中で道路整備などもままならない状況であるにも関わらず、団地内はきれいな道路や遊歩道が整備され、広場や公園、商店、幼稚園、郵便局、診療所といった生活に必要な施設が入っているなど、利便性の高いものでした。

高度経済成長やベビーブームも後押しし、団地に住んで冷蔵庫・テレビ・洗濯機の“三種の神器”を持ち、団地内の公園で子どもを遊ばせて子育てする、というのが当時の最先端だったんですね。

当時、6階以上の建物にはエレベーターの設置が必要とされていたため、多くの団地が5階建てでしたが、2階建ての住居が主流の時代に4階や5階といった高層階に住むのは、いまでいうタワーマンションに住む感覚に近かったのかもしれません。そんな団地に住む人たちを『団地族』と呼んだのもこの時代です。

団地の供給元

団地は戦後の住宅復興のためにつくられたので、主に国の政策として建設されました。そのため、多くが公営住宅になっていますが、どこが供給しているかは意外と種類があります。

まずは公社といわれる住宅供給公社(JKK)が提供しているものです。JKKは都道府県など地方自治体が出資している団体で、全国に37の公社があります。

それから有名なのはURでしょうか。独立行政法人都市再生機構(UR都市機構)と呼ばれる国土交通省所管の組織で、1955年につくられた日本住宅公団が前身となる独立行政法人です。

県営住宅や市営住宅など地方公共団体が直営で管理しているものもあります。公社やURの団地に比べると規模は小さいケースが多く、入居に収入制限があるなど自治体のセーフティネットとしての役割もあります。

最後に、完全に民間主導の団地というのも存在しますが、数は少なく、多くは社員向けの社員寮(社宅)などになります。

団地の衰退

戦後、日本の衣食住の「住」を支えてきた団地ですが、1973年の住宅統計調査で一世帯一住戸が達成されるなど、無事にその役割を終えて、老朽化とともに数を減らしていきました。

国もかつての住宅の数を増やす政策から、住宅の質を高める政策へと方向転換しており、近年は「長期優良住宅」や「子育てエコホーム支援事業」などを展開しています。

団地の入居者も高齢化し、既存建物へのエレベーター棟の増築なども多くの団地で見られるようになりました。また、団地の衰退に合わせて大規模なリノベーションをする団地も多く、間取りや団地内の施設も変わってきています。

ただ、法規制や費用の面で課題も多くあり、ゴーストタウン化した団地が問題になっている場所も少なくありません。民間企業とコラボしてデザイン性を高めたり、高層化して住戸が増えた分を建て替え費用に回したりと様々な工夫をしているので、団地の建て替えについて調べてみるのも面白いでしょう。

まとめ

何万人という人がまとまって住む団地は、ただの住居というだけでなく“街”として大きな影響力を持ちました。

団地のために駅や小学校がつくられることもあり、まさにまちづくりとしての国の住宅政策の一環でしたが、時代も変わり近隣の小学校が廃校になるなど、いまでは老朽化が課題ともなっています。

これから団地のリノベーションはもっと進んでくると思いますが、団地の歴史やかつてのにぎわいに目を向けてみるのもいいかもしれませんね。

著者:独学一級建築士 nandsk

独学により一級建築士に合格。住宅やアパートの設計・工事監理、特殊建築物の維持管理、公共施設の工事設計・監督の経験あり。二級、一級建築士試験受験者へのアドバイスも行っている。『建築の楽しさを多くの人に知ってもらいたい』と話す。

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